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仲宿2月1日

まさか、仲宿で歌うことになろうとは、なあ。

僕の育ちは板橋の北の方です。都営三田線の北の方。


しかし僕が生まれる前に両親が住んでいたのはこの辺りなのです。

知らないわけじゃ、ない。まあ、その程度のことですが。


かつて、四谷コタン時代に多田聡と都営三田線の車内で偶然会ったことがありました。沿線に住んでいたんですね。知らなかった。それで、当時ブッキングで一緒になった時に、都営三田線という歌を作ってこようと約束して、そのうち実現したものでした。


ただ、僕と多田くんは、そのくらいの間柄です。そのくらいというのは、それ以外にはエピソードがない程度、という意味です。生まれは一ヶ月僕の方が早いので、学年が違いますから、多田くんと、なんとなく上の方から呼びます。僕が以前は今ほど酒づきあいをしなかったから、それくらいの関係だったとも言えましょう。


僕たちの関係はそのくらいの関係ではありますが、二十代の頃、小さな店のライブのトリ(出演順)を目指した仲間でした。傍目には取るに足らないことにも見えましょうが、当時の僕たちには、トリは到底自分たちの手には届きそうにもない、憧れで目標でした。それはそれで強烈な仲間意識があるのです。僕はあまり好きなことではありませんが、やっぱりあの頃のこと、会えば昔話をしてしまいます。


その後僕たちは厳しいお客さんがたの目を耳をかいくぐり、その店でそれぞれトリになり、彼はただならぬ夜、僕は余讃歌とタイトルを持っていきました。そしてますます、まったく顔をあわせることがなくなったわけです。スケジュールを眺めるたびに、あいつも元気にやってそうだな、と見知りおく程度。



丘の上より、かなたの朝陽を眺む と映り込む住宅たち

板橋仲宿Dream's Cafeで昨年の夏会えたのは、偶然でした。こういった巡り合わせにはきっと何かしらの意味があるんだと信じています。11月には池袋フィールドに彼を招きました。タダならぬ夜 はそのお返しのようなものでした。


僕たちが再会して意見が一致したのは、Dream's Cafeの雰囲気の良さでした。お店をやっている人間自身に、それを慕うお客さんがついてくる。この当たり前の構造を、いま正しく具現しているこの店で会えて、よかったです。ビルの取り壊し立ち退き事情とはいえ、四谷コタンがなくなったのには、それなりの理由があったのだと思います。


余談。僕が好んで朝陽を写真に収める丘のあたりに、かつてこの店のマスターは住んでいたというおまけにしては奇遇すぎるご縁に、笑いが止まらない夜でしたよ。(しかも建物を偶然写してしまっていて、いっぱい写真あります。)


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