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昼寝のなかで

ライブがあけて土曜日、おそろしい眠気に襲われた。何度細切れに昼寝をしても足りない。そして悪夢のように、何様でいこうか、にお招きするゲスト、10月以降を決めておらず、やっぱり一人でやっていくべきなのか、あるいは誰かしらを頑張って、お呼び立てしたほうが結果いいのか、悩むという夢を見続けていた。



七月の何様でいこうか、ご来場どうもありがとうございました。花火というお題で、またくる七月のために、三人三様の花火をご披露。はっぴーまんが、なんと二曲ご披露。僕が本編で、追加一曲ご披露。都合、六曲の花火にまつわる歌があり、花火大会の様相。ということでよろしいかと。


三月に偶然出会ったはっぴーまんは、あの時三人組だったのだけど、よんどころないフェス用で二人組になるという、一般の人たちだ。でも、彼らはあの日も今月もとっても楽しそうだ。そして、自分らしさを第一に歌っていた。そこそこ上手にかっこよく無難に誰のためか分からない様式美を追求する人よりは、僕は好きだった。僕の好みの押し付けだ。


僕は僕でこの春に作ったCD何様で行こう、の流れで作れたので、今後に繋がったかしら。

セットリストには、当日販売開始のCDたのみごと、の中身も散りばめられた。それぞれに関連する過去の曲との組み合わせで、近ごろ歌い損ねてきた曲もやれた。


何度も書いてきたけれど、我々クラスでは、いつだってどれもこれも新作同様。ことさらに、新しいアルバムが出来ました買って予習復習してください、とは言わない。だって、来月にはもうたいてい次に向かって進んでいるから。


ようやく暑くなって、今年最初の収穫。本文と関連はありません。

さてその悪夢を見続けた土曜から翌くる日曜日、体力と気力を取り戻し、2001年以来行っていなかった近所のビアガーデンを求めて、すっかり梅雨明け気分のあついなか散歩をしていた。しかし残念ながらそこはもう、なくなっていた。夏のべんべんライブ高島平のあとに、みんなで来たのが最後だったか。


ならば、と思い立って別のまちへ移動。そしたらなんと、多田聡が吉田拓郎を歌っているところに出くわしてしまった。すばらすぃ。多田が多田のままを相変わらずの多田で歌うのでうれしくて、いっしょに夜まで飲んでしまった。


僕より一ヶ月生まれの遅い多田くんも50歳。今は亡きコタンで戦った仲だ。仲ではあるが、いっしょに飲んだことはない。だいったいあの頃の僕たちは、そういう仲だ。狭い世界とはいえ、厳格な階級社会のコタンで、トリを目指して何年も何年も下手くそと笑われ、詰られながら歌い続けた。


その中で、生姜焼き史は、生姜焼きをお題にクボフミトと戦った記録。長らく放置の都営三田線は、多田聡と戦った記録。(話の中で彼が思い出させてくれた。そうだったそうだった)


昔話は嫌いだけど、僕にとってあの頃が、昔話になってしまったのを思い知った。そりゃそうだ二十年以上も経った。事実もう立派な昔話なんだ。


でも、僕らはまだその延長上で、歌っている。


あっさりと、多田聡をお招きすることになった。僕の好みだ。僕らにとって生きているというのはこういうことなんだと思わせてくれる、歌うたい。

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