検索

金曜日の日課

すっかり金曜日の朝七時に、大分の吉岡くんと東京下町のクボくんと三人でお話をするのが習慣になってしまったのです。何をどうするって、スカイプというソフトを使って三人で会話をして、それをそのまま、ネットに配信しているのです。

題材というか体裁というか肩書きとして現役ボイストレーナーが三人で、ボイストレーニングにまつわるお話、まつわらないお話、割合自由にまとまろうがまとまらなくとも、それで良し、どうせそんなには聴かれているまい、という姿勢でやっています。

こういった活動の意義などといったことを、どうしても言い訳のように考えてしまうものです。どうしてでしょうか。別に、常に全てが本当にためになる、役に立つ内容でなければならないわけではないはずです。なのに、それを考えてしまうのです。

あ、これが簡単に言えば完全主義というやつなのでしょうか。窮屈なものです。ちょっと客観視すると、僕にはそういう側面があって、そのせいで腰を重たくする傾向もあるようです。大事なのは行動力と好奇心。動いてみなくては始まらないと知っているのに。

その中で今日は、今はツールが発達していて、ポッドキャストなんか大変気軽にできる。とにかく自分の好きなことでも、愚痴でも、とにかく喋ってみるべきだ。理路整然と。という話になって、ああ、面白いなって思ったんです。そうそう、聞いてみたい。

特別上手でなくていいから、さまざまな職業、いろいろな生活をしている人が現実にいて、全ての人と出会えるわけでもないけども、その人たちがどんなことを日々思い、暮らしているのか、これをただただ、理路整然と自分の言葉で話してくれたら、面白そう。

僕はこの、理路整然、という点に惹かれます。これも、完全無欠である必要はなく、ただただ、文章の流れとして自然に、主題から逸れることなく、特別山場があるわけではない、生活、その人の日常に対する、率直な愚痴、率直な、お話。

昔からそうですが、僕の周りには必ず物知りが何人もいます。なぜかと言えば僕が知るためです。多分そうなっているんです。

僕は長らく、作詞作曲という創作の虜になり、その際の作品との立ち位置は、完全な創作的主人公の述懐である場合もあれば、ほぼ完全に自分自身の主張である場合もあり、素の自分の意見を客体化したり、その逆を主体化したりさまざまな作り方をします。

だから自然と、作品を語る場合、歌う場合、実人生の実生活の自分、とは切り離して捉えるのが、普通です。比較的、自分の趣味嗜好を活かした作品作りが多い部類だと思いますけれども。しかし、実生活においてはその態度は不要なんです。

だから、いざその立場で喋ろうとすると、支離滅裂になりがちです。慣れないから。ちゃんと堂々と筋を通して喋りたいものですが、実人生においてはこの社会でただただ上手くいかない人ですし、それに囚われる時間や気持ちの方が多いんですから仕方ないです。

そこで、鍛練です。どんな立場の人がどんなことを思い考えるのかを、理路整然と人に説明する練習です。これをうたわないボイストレーニングではいかにも、自分はできるふりで語っていますが、実はそんなにできてもいないのです。

ああ、やらなくちゃなと思います。せめて全然違う名前で。

38回の閲覧

© 2017-2020 ishimurafubuki All Rights Reserved. 

  • Twitter
  • Facebook Clean
  • Instagram
  • YouTube
  • YouTube 2