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その昔、CDは焼いて作った


クロムテープに多重録音したものを、DATに移しただけで、埋もれていた音が聴こえてくる気がして、興奮したものだった。 それをCDに。まあ、正確にはCD-Rに移す作業というもの。今なら普通のおばあちゃんくらいの人たちでも軽々とやっていそうなことを、当時は業者が請け負っていた。 夢のような機械だった。しかも、当時は決して精度が高くなくて、エラーディスクになりませんようにと、作業中祈るような気分だったのを思い出す。そしてCDは、焼くもの、であった。一枚焼いといて、というような言い方をしたのである。 僕はゼミにも入らない卒論不要の大学生だったので、自分なりに言わば卒論がわりの成果として、それまでの作品でCDを四枚作ることを目指していた。 当時から無茶な計画を立てて、遅れても絶対遂行するという頑固さを持っていた。四枚のうち一枚作った後は卒業間際、というか四月以降になっていたが、おかまいなしに会社員の春、あまり多くはなかった業者さんのところへ夜更けに押しかけて、作った。 もちろん、これを作ったらもう、音楽つくりも卒業という気持ちだったから、なんとそこにも意地になっていた。 常に、どの方向を向いていても一度自分の決めたことは諦めない姿勢なのは、もはやご愛嬌。 事実、その後はうたを作ることから一年くらい、離れていた。いや、業者さん、というかそこの社長さんから、一曲録音してごらんと機会を貰って、それが上手くいかなくて、で、すっぱり諦めたというのもあったかな。 さすがに時系列な怪しい半世紀前の話。でもその時、難しくて全然歌えず諦めたのが、永遠の孤独であり、一年後に作ったのが、日曜讃歌だったことは、覚えている。 さて。その業者さんのところにいた、にこにこしたお兄さんが、後に我々がべんべんをやっていた頃に音響関係でとてもお世話になった、まことのしもごえさんである。べんべん時代は、こういった名前をつけて遊ぶのが慣例であった。今更ながら申し訳ない。あの頃すでに三十だって過ぎていたっけ。 最後のべんべんライブからも十五年を経た今になって、このしもごえさんが、我が職場にやってくるというのである。そりゃあ、このように書き残したくもなるではないかあ。 


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