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僕とギター続


僕がギターを覚えられたのは、海援隊のコピーを散々やったから。 卒業アルバムに同級生が書き残した言葉は、千葉さんに近づけ。だった。 しかし、これは当然のことながら僕が中二中三すなわち1982年1983年に、周囲で海援隊を好き好んで聴いている同級生なんかほぼ、いなかったんだ。 新聞配達で得たお金で友達と出かけた最初のコンサートは1982年12月の解散する海援隊武道館だだった。つまり、一般的には贈る言葉のブームをもってめでたく終わっていたバンドなんだ。 リアルタイムでラジオで新曲が流れるのを待つような状況も、ない。だいたい周囲に話題にすることができる友人だって一人くらいだし、近所のレコード屋に行っても、売れないレコードなんか置いてないんだ。僕の育った東京23区の中ではそんな状況であり、そこで僕は毎日毎日、千葉和臣のギターを真似していた。たまたま近所の友達の家が酔狂で、レーザーディスクで海援隊解散ライブのソフトを持っていて、それを見せてくれたりしたが、それはそれは、貴重な体験をさせてもらったものだった。 カセットテープを何度も巻き戻しながら、弾いた。楽譜なんてひとつか二つしか売られてなかった。手に入らないのかな?と手紙を出したところ、出版の予定はないと、今思えばとても嬉しいことにハガキが届いた。そこから、譜面は自分で作るもの、という常識が自分に身についた。 このように僕には、誰も聴かないし、弾きたがらないものにのめり込む姿勢を、身につけて来たのだ。 だって、みんなやってたら、自ずと優劣をつけられるもの。せっかく好きでやってることにけちをつけられるのなんて、ね。 とこれが、表向きの言い訳で。 世のラブソングは綺麗に出来すぎていて、すぐ切ないとか甘酸っぱいとか評されたりするあのしたり顔が、あの頃から鼻についたもので、実際の恋愛なんて、歌にならないくらいかっこ悪さの方が際立つもの。それを綺麗なほどに表現していたのが、武田鉄矢の歌詞世界だった。 よほど、リアリティがある。もっと言えば、信憑性がある。

半ば盲信の状態でその世界にのめり、その手がかりとして、ギターを真似て行った。

そう。幼い僕は、現実が望むほどうまくいかないからこそ美を追求するラブソングの世界、を理解しなかったのだった。もちろんそれは、はじまらない物語を作るまで、変わることはなかった。 


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