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またくる秋のために


毎月、毎年、歌い続けていく人生です。

もしも日本に四季がなかったら、これほど歌も書けなかったのかも知れないな。と思う時があります。一ヶ月ごとに季節は変わっていくのですから。毎月、趣向の違ったものが自ずとできあがるわけで、これが一年続いただけで12曲はできます。飽くことなく続いていくことでしょう。なんて続けて行きやすい環境なんだろう。辞める気が知れません。

そして、作った時の自分とは無関係に、今この年、この季節を感じながら、歌います。圧縮袋から引っ張りだした季節ものが、いかにも古くて気恥ずかしいこともあれば、ひとめぐりして妙にしっくりくる奇跡だってあリましょう。

何様でいこうか、鈴木チヒロを迎えての十月を終えました。ご来場のみなさま、どうもありがとうございました。今月から、またくる十月のために、と題して、自分より若輩の人と歌の競作プレイをしていく企画を始めました。また来年再来年も使えるような歌を作って行くために。お題を毎月設定していき、当日までに準備して、ちょうど前座のような時間に僕と一緒に演奏してみるという冒険企画です。相良浩司をまずはターゲットにしました。お約束は、曲ができない月が来たら、終了。それまでは続く予定です。

自然と曲作りの話になった楽屋には何故か先月のイシヅヤシンまでいて、僕からみたら年齢差子供みたいな若者たちばかりで、少し居心地を整えるのに時間がかかりました。若い人たちが無条件にかわいく思えたらもう、年寄りでしょうか。この人たちがいつまで続けていくのか僕は知ったことではないけれども、もしも長らく続けて来た僕の失敗話が役に立つならば、すべてを話して聞かせたいものです。皆それぞれ、年なりの背丈なりの、間尺なりの世界を描くことを目指しているようだけど、いいんだよもっと自由でいい加減でもっともっと無責任であれ、だって夢や理想は現実とは別ものなんだからと、伝え続けたいのです。

ところで、そんな態度でありながら、偉そうなことは言えません。というのも、どうにも当日ギターの調子がおかしく、本番にどうしてもチューニングが合わない事態、挙句弦を切ってしまいましたよ。なにごとでしょう。それでも僕も慣れたもので、即座に僕の予備ギターが準備されるのを遠方に眺めながら、切れた弦の一部を鳴らしつつ、曲を止めずに済んだのでしたが、よかったよヒストリー。人身御供みたいに預けっ放しにしておいて、よかったよかった。せっかく今回はギブソンの音を聴かせるべくセットリストを組んだのに、これはもしや先代のギターの呪いだったのでしょうか。

十一月の何様でいこうか、のゲストはフィールドよりご紹介いただいたアマリリスとアナウンスしてまいりました。今もフライヤーにはそのように記述があります。が、当日、先方のメンバー不揃いが生じるための代替企画もご提示いただいていたのですが、僕の方から、また機会をあらためて作らせていただく、ということにしました。せっかくご紹介いただいたのに。

その償いに、というわけではなく翌日、山石敬之ライブに出向いて来ました。往年のギタリストの方と演奏されていて、いつも静かな印象のお客さんがたの興奮たるや会場をびしょびしょにしていました。やっぱりライブは、そこに居合わせた人間が作るものなんです。すげえものを見て来ました。そしてたまたま、弦が切れるのを目撃しました。ちょっと危険ではないか?ともに若者でもないのに二日続けて弦が切れるなんて。日曜日の公演が心配になります。


ちなみに土曜日、僕のギターは新しい弦を変え、新しい電池を入れ、また素晴らしい音を出してくれました。来月は心配ございません。心配なのは、六月以来、またワンマンのような日になるのではないだろうか、ということだけです。

話は大きく変わってしまうのですが、日本シリーズが始まり、文春野球のえのきどいちろ対つばくろうを改めて読んでいました。くさっても大衆派のつばくろうにサブカルチャーは数字の上では太刀打ちできないのだなあ。えのきどさんの文章はこんなに素晴らしいのに。みんなタダで読んでて申し訳ないと思え。レベルだというのに。そんな十月の終わりです。


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