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空白期間 を埋めつくす


(つづき)そのお問い合わせの方への返信で、僕は、僕の時間は連続していました、というような書き方をしました。もう書いている自分自身が飽きてきたので、これで書き切りますね。長い君の空白期間に、僕は結局おなじことをなんども繰り返していました。

懐かしの君へ,その後の僕を語る


僕の中では、せめてこれくらい稼げるようになったら最低でも、「趣味で週末にやってる人」、にはなれるはずだから。と線を引いて、せめてそこまで行こう、そうしたらまた歌えばいい、と考えていました。


ところが、仕事が増えるわけでなく、すなわち稼げるわけでなく、仕方なしにおとしものわすれものひろいもの、などを作り続ける始末。これで儲かるわけもなく、憂さ晴らしに見続けたプロ野球とともに作り続けた成果をまとめて、優勝記念セイルなんか作りだすありさま。

結局、自分で決めた線を越えることなく、また、四谷コタンで歌い始めました。四年が経っていました。この四年が思いの外長かったようで、この際、名刺がわりになる作品集を作ろうと思ったものの、すっかり鈍った自分の技量に愕然。結局、名刺がわりの作品集、すぐれもの及びスグレモノは、再開して一年以上経って完成しました。



ずっと作りたかったものがありました。それが、正義と真実のばか、でした。三十代のころから構想はあり、歌詞だけは書き置いておいたものたち。これをようやく2014年にまとめることが出来た時に、やっぱり再開してよかったなと思ったものでした。だって、毎月一度でも歌っていた方が、うまくなるもの。

しかしこの直後、僕の人生には大きな転換がありました。生業がぐるぐる回り出したのです。回り出すなり三カ月で念願のエレキギターを買い、半年後には教室を広い場所に移転し、九カ月後には講師が二人増え、節約の為ライブハウスに自転車で出向いていたのが電車に乗るようになり、着くなり水をくれと言っていたのに缶コーヒーを人の分まで買ってくる変わりよう。


もちろん、そのせいで未体験の忙しさに見舞われて、アルバム制作はおろか新しい歌を作る時間もなくなり、それはそれで困ったものでしたが、再開後の曲を集めたわらいごと、の曲でしのぎながら、ほぼ一発どりのつぼさがししわあわせ、を作り続けました。

2016年に1994年からお世話になっていた四谷コタンが閉じたのを機会に、僕がいつもうたっている場所を池袋に移しました。そこらへんも語りだせば長くなるのですが、この辺りはもう、最近の日記を読んでもらえたら、分かるかと思います。


細部を修正した上、二曲追加して優勝記念セイル2016を作ったのは、あっという間に駆け抜けていった大谷さんと、僕の野球ネタのうたを楽しんでくれる新参のお客さんがあったからでした。

自営とはいえ仕事をしながら、毎年のように作品集を作り続けられたのは、やはりそれに費やすことが可能な時間が余地があったのだなと思いました。というのも、いつのまにか僕は毎月何人もの人に給金を払ってアガリを掠めとる仕事になっていました。それで楽になったかといえば大間違いで、より一層忙しくなってしまいました。よまいこと、は、ひいひい言いながらやっと作っていました。


それが今年、2018年でした。でもついに、いやようやく、自分のやりたかったことに時間をかけられるようになって来たようです。

長くなりましたが、君の言う空白期間の僕は、こんなでした。よくやるよね。僕もそう思います。次回作は12月に発表の予定です。僕は死ぬまで止まらないことと思います。できることなのであればまた、追いついて来てください。


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