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何様でいこうかようやく解りかけてきた


ご来場の皆様、12月28日金曜日。こんな日に、ライブハウスいっぱいに席を埋めてくださり、どうもありがとうございました。

あの冬、毎月出ていた四谷コタンがなくなることになり、次のお店は池袋にないかしらんと、土地鑑優先で探していたことを思い出します。たまたま職場でも使っていたサークルスクエアのリンクから、暑っ苦しいブログが目に止まったのが最初だったでしょうか。今どきこんな事言ってたら、若い子逃げちゃうよ。というのが第一印象。ただしなればこそ、この人は信用できる。気にした問題はただただ、こちらの年齢のことでした。若い人向けみたいだし。とにかく、行ってみよう。コタンの最後のステージを終えたら、行ってみよう。そう、それは春でした。その夜名刺をいただいて、驚いたのでした。自分の進んで来た道の先に、懐かしい名前があったから。

あの時の山石さんの戸惑った表情が忘れられません。きっと、やっかいなおっさんが来ちゃったなと思ったに違いありません。というか、顔に書いてあったもの。

それから、2年半以上が過ぎたのでした。


改めて書きましょ。山石さんは、僕が高校生の時に歌作りを覚える上で、最初の時期に題材としてコピーしていたものを手がけていた人、です。こんな偶然があるなんてねえ。記憶というのは不思議なもので、掘り返すまでまったく意識に上らなかったものの、ちょっとほじくってみたら、わさっと湧いて出てくるのです。どういうことかといえば、一緒に演奏をさせてもらう時間の中で、あの素晴らしいグリッサンドや、手癖のような装飾音が聴こえてくるたび、ぞくぞくするのでした。不思議だなあ。そう。間違いなく、あの音で高校生の僕は育ったのです。昨夜の軽音楽部の中で、山石さんのピアノを間近で体感できるのを、嬉しく思っていました。口では、音がうるさいと言いながら。

僕は来年50歳になります。そんな歳になるまで、こんなことを続けて来てしまいましたが、やっとこさ、自分のあるべき作るべきうたがわかって来た気がしています。そんな時に、山石さんに出会えていてよかったなあと思います。圧倒的な僕の不器用さを受け止めて、生き残る機会をくれました。感謝があるばかりです。

おまけに、アンコールは919で、とすすめてくれたんですよ。可笑しい。僕が冗談で作ったあのピアノフレーズを、山石さんが弾いてるんだよ。痛快すぎる。

以上。

僕は間違いなく、見た目わかりにくいですが、結構感激しながらやってるんです。西池袋軽音楽部。だって一緒にやっちゃったよ、木枯しに抱かれて。それだけでも、いい土産話なんだけどもなあ。そんな土産話を喜んでくれる古い友人たちとも、すっかり疎遠です。それは仕方のないことだとわかってはいるけれども。

今月の僕のテーマは、2018年のすぐれもの。今年のすぐれものばかりをやりました。だから、日曜餃子も、君は気づいていないだけも、なしです。今月のセットリストは来年につながるものになったなあ。

来年の自分が、また少し楽しみです。来てくださった皆さんが、そんな気持ちで帰ってくれていたらいいなと、心から願った夜でした。


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