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あるひとつの幸運


長らく歌ってきています。そんな資格が僕にあったらいいなと願いながら。

かっこつける気持ちの余裕はいつもなかったから、まるで学生サークル活動の延長みたいにあるいは、年をとるほど趣味の余興に見えたかもしれません。

長らく歌ってきています。そんな資格が僕にあったらいいなと願いながら。

だから、いつだってその時が来たら辞めなきゃいけないと思っていました。安寧なんてどこにもありませんが、そんな気持ちの伝えどころは、ありません。

幸い、僕は毎月のライブでお客さんが途切れたことはありませんでした。極端に少なかったのは、いつだかのワンマンライブの翌月、ふたりだけ。という月、あれだけでした。いつでも、誰かしら聴いてくれたから今に至り、続いています。

そんな年月の中で、出会いと別れは常にやってきます。お客さんはいずこから来ては、何故かいずれ流れゆくものです。だからこちらは流れていかないようにと、常に新しいものを水底に杭を打つように作り続けます。お客さんの数などは常に変化するものですが、好評不評の波は常に意識させられて来ました。

長く続けたが故に10年以上ぶりにひょっこりという方も、たまにあります。そんな人から見たら、当然僕は確かにその年月の間に変化していることでしょうし、或いは変わらないものを見出す面白さもありましょう。他人ってのは年をとるほど分かったような気になるのに、自分だけは、いつまでもわかった気にならない。とくに自分の良さは全くわからない。

だから時々は、人の話を聞いてみようと思います。そうして、また新しい自分を展開して、新しい出会いの中に自分を放り投げることができるような気がするのです。結果そのおかげでさらに続けられている気がします。

枕とするには力入り過ぎて頭でっかちに上滑りしてしまいました。


四月のはじめの時期は奇しくも、僕がおつきあいを欠かせない人がたまたま同じ日にライブをやっていました。長く続けている人たち。という括りでは、山石敬之さんはわれわれとはまた別格ですが、それこそ桁違いに浮沈の激しいかたです。そして長年それを見守って来た人たちがいます。それをみて、自分もそんな風に続けて来たよなあと思います。なぜかといえば百分の一あるいは千分の一の相似形ではあるものの僕にも、ずっと見守ってくださる人たちが、います。いい時も悪い時も、その人たちには知られている感じ。

普段は誕生日の四月八日ですが、今年はそれが月曜日なので、四月七日。ご本人そしてお客さんがたの、この日にかける思いは大変なもので、たまたま僕は今年の初めそれを目のあたりにして、ああその日が無事に、この人たちに訪れますようにと、心ひそかに念じてきました。楽しみです。

そして、四月八日と言えば釈迦の誕生日だからワンマンライブだという捻くれた論理で毎年やっている世古武志がいます。僕は毎年ピアノ伴奏で参加してきています。今年も電子ピアノを弾きます。ピアノ伴奏なんて、僕より上手な人の方が多いですから、誘われれば断る理由はありません。そしてここにも、この日を待っている人たちがいます。今回はおそれおおくも月曜日です。年度始まりの月曜日の夜。無理を承知で開催するバカも、楽しみに集まるバカも、毎年、皆幸せそうです。その空気に触れられるのは幸せなことです。

僕にとってはどちらも外せないライブです。例年は同じ日ですが、今年は暦の都合で一日ずれましたよ。幸運なりや。


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