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野球場で過ごした時間


三十代に入った頃、そろそろ引き返す道もなくなっていくのを感じながら、道なき道にすら見えない得体のしれない未知の場所を歩いている気分だった。

あの頃は、もともと素人から始めた新しい仕事が失敗の連続。いくら不景気とはいえ新卒の初任給は暮らすのに必要十分だろうけれども、それにも程遠い自分の収入をみては、気がつけば、あらゆる店という店に立ち寄ることすら忌むようになっていた。

仕方ない。好きなことをやってる。だから仕方ない。なかなかうまいことなんてないさ。

そのちょっと前、誰とも話さずに町中を歩き回る地図調査員のアルバイトをしていた時、ラジオを聴く習慣があった。ラジオの中でどもったように話す、愉快なお兄さんには東京ドームに行くと会えるらしい。東京ドームなら人一倍お馴染みだ。通った高校は近かったし、ドーム建設は富坂から眺めていたものだ。

いってみようか。チケットは650円もあれば近所の金券屋で買えた。自由席だ。ガラガラだもん。お尻の他に荷物と足の置き場だって確保できるくらい。

だいたいぼんやり、見ていた。いいことなんてほとんどないけど、だからってせかせかしたり、挙句くよくよしてるくらいなら、ぼーっと野球見てたっていいじゃん。野球は何より好きだったじゃないかと、気がついたら心底、救われる時間になっていた。いいや、今はここにいるだけでいいや。何にもならないけど。

年々入れ替わって行く選手たちを見ながら、こっちには代わりはいないから、やめる心配だけはないぜ、なんて、強がっていたっけ。

途中から緊張感の感じられない間延びしたながーい試合をやっていると、これだから野球は馬鹿にもされるんだぞー、と、拳を握ってたっけ。

気がつけば、あんまり強くはないチームを応援する羽目になっていたけど、こっちも負け犬みたいだったから、感情移入は自然だった。

お願いだから今日は負けるな。と念じたっけ。

そういえばあの日のラジオの中のお兄さんを球場に見かけることはあっても、土産話ひとつない身の上で話しかける気分になんて、なれなかったっけ。

でも楽しい時間だったなあ。いいや、今は。ここにいるだけでいいや。何にもならないけど。

それからずっと何年もずっと、特別いいことなんかないぜ、といつも心のうちに呟きながら、僕は好きなことを続けてきた。


いったい何年続けていたんだろう。先月のライブはみなさんに沢山、お祝いしてもらった。こんな恵まれたことはそうそうないのだから気を引き締めていこうと思った。今月はピアノでお手伝いもしたし、普段は行かない新宿や渋谷にギターを持って出かけていった。普段より大忙しだったなあ。おまけに、笑っちゃうなあ。この僕がラジオでも歌っちゃった。

普段は寄りつかない渋谷から飯田橋の自分の事務所にギターを置きに帰る。文京区後楽って、東京ドームと同じ住所なんだぜって独り言。

あの球場でぼーっと過ごした時間は、何にもならないもの、でもなかったんだと、急に気がついた。


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