検索

ステージ

ステージは非日常を演出してくれる場所。時間的な不連続はもちろんのこと、空間の不連続性、分かりやすく言えば世界の不連続性を保証してくれる装置だ。


なんのためって日常、生活、しがらみ、うれいごと、そういったものから一時的に解放するために。よし、ここまでは分かりやすいぞ。



おっと。日常や生活という言葉が出てきてしまったので補足。僕がひたすらに日常立脚のうた作りを心がけている理由は、変わりばえしなくとも、豊かとは言えずとも、日常の中から楽しみを作り出していく精神の主張に違いない。


だからよく僕の歌について、日記みたいだとか、個人的が過ぎるとも言われがち。だが、そういうことをいう人は、歌うたいに自分を投影して夢を見るタイプなんだと思う。僕以外のかっこいい、今で言うところの「アーティストさん」でも、観ていればいい。こうして書くと、僕の歌を聴いて楽しめる能力というものは、案外高いものを求められているのかもしれない。はい。補足蛇足はここまで。



さて。そんなわけで、装置であるステージには当然段取りが必要。リハーサルがあるのが普通。ステージは一人では作れない。これも常識以前の話。


しかし、ここのところ組んでいただいたブッキングライブに於いて、不思議が続いたのだ。予め知らされていたリハーサルを含めた本番までのタイムテーブルや、そこに載っている出演者情報に変更があっても出演者に知らされないのだ。


こちらは、他の出番の演奏や雰囲気を大いに意識する。当然だ。僕のお客さんは、僕の時間だけを目指して来ているわけではないし、逆に言うと居合わせるお客さんのタイプによっては、僕自身のやり方も例えばいつもよりきちんと説明をしなきゃとか、考える。だから敢えて早くから小屋入りもする。これも当然。


しかしこれら当然を覆すような上述の事態が、6月7月と、それぞれ別のライブハウスで続いたのだ。戸惑いとともに、いささか萎えている。機会を優先的にいただいているフィールド以外の予定をまだ組んでいない。


四谷には今でも足を運ぶことが多い。再開発は進む。

今は亡き四谷コタンは古くさいほど古く、笑っちゃうほど小さいけれど、そんな学生サークルみたいなことは決して起こらなかった。だからこそ出演できるのは、あの狭いスペースをステージに変えられる能力のある人だけに限られていたもんだ。これについては、いくらコタンの話でも時代遅れとは思わない。だって、それなりのハコではみなさん演る方も観る方も、それなりに振る舞うのでしょう。


そんなわけで、何様でいこうか、以外の予定がなかなか入っていかない現状。ご理解を。

0回の閲覧

© 2017-2020 ishimurafubuki All Rights Reserved. 

  • Twitter
  • Facebook Clean
  • Instagram
  • YouTube
  • YouTube 2