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喫煙所で

今、たてつづけに茂さんとの思い出を書いている。べつに茂さんがいなくなったとか連絡がつかないとか、そういうことではない。


野球場に普通の人よりも頻繁に通うようになって、それこそきっかけはえのきどいちろうさんだったけれども、僕は僕で、野球場で会うお友達を作っていて、それについてはプライベートだったので今まで断片的にしか書いてこなかった。


東京というまちで、隠れキリシタン然と存在したファイターズファンの一部。僕と茂さんは、当時の四谷の文化放送のすぐそば、四谷コタンで出会った。


それだってじゅうぶんに奇跡だったけれども、奇跡といえば、こんなことがあった。

2006年プレーオフ。東京から北海道へ移転して三年目、44年ぶりに日本一になるシーズンの秋のこと。


茂さんはまっとうな勤め人なのに、すでに九月半ばからほぼチームと帯同して日本中を飛び回っていた。もう、ついて行かざるを得ない気持ちに突き動かされていたのだろう。後日、完全に体調を崩されたほどだった。


リーグ優勝を決めたあとの札幌でのプレーオフは、まだチケットが取れなかったしお仕事もあるので諦めます、というメールのやり取りを2日前にしていた。僕はといえば、僕なりにやっぱり突き動かされるように、札幌へ出向いていた。


緊迫の第一戦を制し試合後に僕は朦朧としながら、札幌ドームの喫煙所へ向かっていた。中はまだ混んでいた。なんとか入って、何本か立て続けに吸う。なにせ長時間の緊張に耐えた後だ。しかも気持ちよく勝った後だ。何本でも吸える。ああ、茂さん、残念だなあ一緒に見たかったなあ。などとつぶやきながら。


つぶやきながら、で思い出した。この時点で僕はまだ、携帯電話を持っていない。僕が携帯電話持つのは、ウェザーニュースのバシに煽られて2008年の正月にようやくだから。ウェザーニュースのバシ、とは、気象情報会社ウェザーニュースの番組の中で、楽しくウェザリポートを紹介していた劇団員風の男性のこと。(後で知ったがバシは取締役であった。)


つぶいたのは、つまり一人でモクモクの喫煙所で。


やがて、だんだんと人が少しずついなくなり視界がひらけて、ガス室のごとき部屋の向かい側の壁も見えて来た頃、あの目つきの悪い男が視界に入ったのだ。タバコをくわえながら近づいてくと確かに、茂さんであった。もう結局、仕事も投げ打ってチケットを取りに行き、飛んでやって来たんだという。ばかだなあ。ほんとにばかだなあ。


僕たちはあの時暗黙のうち、翌日の勝利を確信していた。東京から遠く離れ、携帯電話もないまま、広い満席の札幌ドームのいくつかあるだろう喫煙室での再会は、もう、何がおこっても驚かない気持ちにさせてくれたものだった。


といったことを重ねながら、野球、野球場、選手、あるいはチームを思い浮かべながら、うたを作っていた。今まで作って来た作品を種類分けするときに、野球、というラベルは不可欠なくらい、作ってきた。作ってきたもんだなあ。

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